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[釜山グルメ] 韓国戦争(朝鮮戦争)と釜山の食べ物「ミルメン」 - 「釜山ㆍ慶南」 旅行ㆍ情報の窓口
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韓国戦争(朝鮮戦争)と釜山の食べ物「ミルメン」
[Write date]  2010-08-20 오전 11:45:32

ミルメンは、「南方の食べ物」?

ミルメンは、韓国戦争(朝鮮戦争)が作り出した釜山の食べ物である。冷麺を作って食べていた北朝鮮咸鏡(ハムギョン)道の人々が韓国戦争の時に釜山に避難して、冷麺の代わりとして作ったのが始まりだ。今も釜山と周辺地域以外の都市ではなかなか食べられない。そのため、釜山を訪れる国内外の観光客は季節に関係なく、釜山の郷土料理として楽しんでいる。

ミルメンは、冷麺と似ているが、冷麺のように麺が切れない程ではない。冷麺(中でも咸鏡道のビビム冷麺)の材料はサツマイモの澱粉だが、ミルメンは小麦粉が主原料だ。ミルメンは冷麺より柔らかいが、しこしこする感じを持っている。日本人が十分食べやすい硬さだ。

冷麺を食べる韓国人を見て日本の人々は、どうしてそんなに硬い食べ物を作ったのか、面倒ではないかと不思議に思う場合が多い。実際、韓国人も切れない麺を食べる時には面倒くさく感じている。特に、麺を食べる人が北朝鮮人ではなく韓国人、韓国人の中でも釜山のような南の人ならもっとそうである。

この点でミルメンは、そうめんのように柔らかい麺をよく食べる釜山の人が好む「南方の食べ物」と言えるだろう。ミルメンは釜山のあちこちに拡散し、人々の嗜好を捕らえているが、ソウルなどでは味わうことが難しい点もこれを裏づけている。釜山より南にある日本から来た人は興味深いことに、ミルメンが口に合うと言いながら満足感を示す場合が多い。

北朝鮮の出身の避難民が元祖

韓国でミルメンが最初に作られた場所は釜山市南区牛岩(ウアム)洞にある。釜山港の東側にある牛岩洞は韓国戦争の時、大規模な避難民収容所があった。

日帝時代、この地域は土の色が赤いとして「赤崎」と呼ばれた。港の近所には動物検疫所があり、検疫を待っている牛や豚などの家畜のための施設が多かった。背後にある丘には、日帝時代に形成された日本人の共同墓地もあった。しかし、韓国戦争が勃発、釜山に大挙にやってくる避難民の収容施設に指定され、大きいバラックの集落になったという。

ミルメンは牛岩洞にある「内湖(ネホ)冷麺」で初めて作られた。同店の劉尚模(63)さんの母親である鄭漢金さん(故人)が最初に作ったと言うのが定説だ。鄭漢金さんは1952年、一緒に避難してきた母親と冷麺屋を開いた。その時この店は狭い牛の保管所だったと言う。

鄭漢金さんと母親は現在の北朝鮮の咸鏡南道興南市内湖面で1921年から冷麺屋を経営していた。今の店の名前もこの故郷の地名「内湖」から取った。

鄭漢金さんと母親は1950年12月24日、いわゆる「興南埠頭撤収」の時期、米軍の貨物船に乗って韓国に来た。韓国戦争当時、米軍は仁川(インチョン)上陸作戦の成功で、北朝鮮軍を中国との国境まで押しやったが中国軍の介入で戦況が逆転、慌てて後退せざるを得なくなった。この時、興南埠頭から撤収を急いでいた最後の米軍の貨物船1隻が武器を捨てて埠頭に残っていた民間人の約1万4千人全員を乗せて無事に韓国に到着したが、鄭氏らもその時韓国にやって来た。

釜山牛岩洞に定着した鄭漢金さんと母親は1952年店を開き、冷麺とグッス(素麺)を売り始めた。しかし、反応は普通だったという。「亀浦グクス」で有名な釜山の素麺は既に他の所でも売っていた。 冷麺の材料になるサツマイモ澱粉は戦後、手に入れるのが大変なうえ、高価だった。さらに、きれない冷麺の麺は、柔らかい麺に慣れた釜山の人々にはあまり歓迎されていなかった。

それで工夫した結果がミルメン。鄭さんは実験を繰り返し、実家の母親が死亡した後の1962年、ようやくミルメン製作に成功した。当時、ドイツ人神父が隣りの聖堂で貧しい住民に小麦粉を無料で配っていた。鄭さんは小麦粉をサツマイモ澱粉と適切な割合で混ぜて、冷麺のように美味しく、硬くない新しいタイプの冷麺を作るにの成功したのだ。以後ミルメンは釜山全域で徐々に広がり、名前も「ミル(小麦)ー冷麺」から「ミルメン」に、短くなったと言う。

「内湖冷麺」にはミルメンと一緒に冷麺もメニューにある。冷麺はサツマイモ澱粉で作ったので甘さが隠れているが、ここに辛さを加えた。麺が堅くでよく切れないから、テーブルに用意されているハサミ で全体を四つくらいに切って食べる。

「内湖冷麺」は現在の劉尚模さんの妻である李春福(60)さんが3代目を引き継いでいる。夫婦は故郷が咸鏡道興南市で同じだが、釜山で偶然に出会い、付き合い始めてからお互いの出身を知ったという。二人とも親と一緒に興南埠頭で、米軍が撤退する時に米軍の貨物船に乗って韓国に来た。



ミルメンをおいしく楽しむ

ミルメンは、ビビン(混ぜる)ミルメンとムル(水)ミルメンの2つの種類がある。日本人は、辛くないムルミルメンのほうを好む場合が多い。

ビビンミルメンを注文すると、日本のそば湯のようなスープが出てくる。日本は、麺を食べた後に飲むが、韓国では、麺を食べる前に飲むのが普通。ビビンミルメンには干したエイと豚肉の偏肉が上げられる。店ごとに辛さが異なるが辛い物が好きな日本人なら美味しく食べられる程度の辛さである。韓国人の中にも辛いものが苦手な人はテーブルの上にある熱いスープを飲みながらスパイシーな感じを無くす。

ムルミルメンの味は日本に普及した「冷やし中華」と似ているという反応も多い。ムルミルメンのスープは牛足の骨で作られ、少し甘味が出る。しかし、福岡の豚骨ラーメンのようにこってりせず、さっばりした感じがする。また、麺は柔らかいながらももちもちしている。日本のラーメンの麺と似ているが、日本のラーメンよりも少し粘り気がある。

ミルメンと必ず一緒に出る物はム(大根)ギムチ。粉唐辛子を使わないまま酢などを入れて熟成させるため、ミルメンを辛さを抑えるのに役立つようだ。

ミルメンは冷麺ほどではないが、粘り気があるので、歯で切って食べることが難しいケースもある。韓国人の中でもミルメンと一緒に出るハサミでミルメンの全体4等分に切って食べることがある。食欲がない場合はテーブルににある酢やマスタードソースを少し追加すれば良い。

「内湖冷麺」で、麺の製造を担当している劉尚模さんは「こねた材料を数日間熟成させてミルメンを作るので、麺が柔らかくて消化にも良い」と説明した。






内湖冷麺のアクセス

釜山の有名な伝統市場で韓服店などで有名な釜山鎭市場からは26番バスに乗って4番目のバス停である「牛岩(ウアム)洞釜山(プサン)銀行」で下車する。凡一洞地下鉄駅からタクシーに乗れば、3千ウォン程度で着く。「牛岩市場の入り口」または「牛岩洞釜山銀行」と運転手に言えば良い。食堂はバス停から10メートルほどの距離。ムルミルメンは小が4千ウォン、大が5千ウォンで販売。

バス亭に戻る時、道の左側にドイツ人神父が小麦粉を無料で配った聖堂が見える。ドイツ人神父は第2次世界大戦の時に捕虜となり、ユーゴスラビアで3年以上強制労働をさせられ、酷い餓えを経験したと言う。韓国戦争以後この聖堂の出発が安物のテントだったことを考えると、貧困の克服と共に
急速に成長した韓国教会の歴史を確認することができるようだ。

住所; 釜山市南区牛岩洞189-671
電話番号; (051)646-6195






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