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[釜山の老舗] 釜山の老舗 ⑥「イルグァンデジタル」 - 「釜山ㆍ慶南」 旅行ㆍ情報の窓口
 
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釜山の老舗 ⑥「イルグァンデジタル」
1917年に山崎写真館・・・カメラのメッカ・釜山の中心
[Write date]  2011-04-29 오전 10:42:09

「写真と釜山」は密接な関係にある。海・山・川などの空間的背景や、開港・戦争・近代化という歴史的背景は「港町・釜山」という独特なイメージを作り出している。チャガルチ市場、甘川洞(カムチョンドン)太極道(テグッド)マウル、水晶洞(スジョンドン)の山間をぬう道路、宝水洞(ポスドン)の古本屋通り、マリンシティ、広安大橋などは写真愛好家なら誰でも一度は撮ってみたい「撮影の聖地」。釜山という街の存在そのものが巨大な被写体なのだ。

「カメラと釜山」はこれよりもっと密接な関係にある。1876年釜山港の開港とともに日本からすごい勢いで新しい文物が入ってきた。その中にカメラがあった。日本の「写真年鑑」の記録によると1917年にすでに南浦洞(ナンポドン)の「山崎(サンギ)写真機店」、富平洞(プピョンドン)の「奥山(オサン)写真機店」など、日本人が経営するカメラ店が増えていた。解放からカメラが公式に輸入され始めた1980年代中盤まで、釜山は外国から入ってくるカメラの集結地だった。米軍から、あるいは対馬からの密輸で、またベトナムに派兵されていた将兵たちの帰国船で、外航船の船員によって・・・。国内に入ってきたカメラは市場や光復洞(クァンボクドン)などを経て、ソウルの南大門(ナンデムン)市場や忠武路(チュンムロ)などへ広がっていった。



「写真とカメラ」において釜山ほど空間性と歴史性の2つを兼ね備えた都市も珍しい。そんな釜山でも光復洞にある「イルグァンデジタル」の存在は特別だ。1956年に「イルグァンカメラ」という名前で創業した「イルグァンデジタル」は、釜山に現存する最古のカメラ専門店だ。解放と朝鮮戦争という激動の時代を警察公務員として過ごしたキム・ビョンギョン氏(1929~84)は、現在国際市場のかばん通りとなっている場所で「イルグァンカメラ」を創業した。当時27歳。順調だった警察公務員からカメラ店の社長への転身だ。

当時カメラはおろかフィルムさえ輸入されていない時代。米軍から流れてくるカメラやフィルムぐらいしかなかった。戦争によって虚無主義が生まれ、虚無主義はぜいたく品の消費をあおり密輸が盛んになった。釜山は「最大の密輸港」という汚名までつけられた。日本・香港・台湾などから入ってくる密輸品は、釜山港を経て国際市場へと集まった。主要品目は植物・ぜいたく品・薬品の順。ぜいたく品には化粧品・毛皮・宝石・時計・そしてカメラも含まれていた。警察で働いていたキム・ビョンギョン氏は、このような時代の雰囲気を誰よりも早く読んでいた。



彼の読みは見事的中し事業は繁盛した。1960年代はじめ、「イルグァンカメラ」は光復洞へと移転しさらなる飛躍を遂げた。光復洞は日本占領期に韓国で初めて「都市計画」が施行された所だ。外国を行き来する船員たちが釜山港から持ち込んだカメラや、ベトナム戦争に参戦した軍人たちが給料をつぎこんで買ったカメラが集まった。インターネットで価格が公開される今とは比べ物にならないほど、当時はマージンが高かった。ライカのMシリーズは当時の値段で100万ウォン。家1軒買える値段を上回るほどだった。1972年にはカラー現像所も兼ねるようになった。

しかし1983年キム・ビョンギョン氏は突然肝臓癌に倒れた。ソウルの漢陽大学建築科の卒業を控え、3つの大企業から内定をもらっていながら留学の準備をしていたキム・ジヒョン代表(56)は、悲報を聞いて釜山へやって来た。翌年父親が亡くなると、長男である彼は建築の道をあきらめ家業を継ぐことにした。



この頃光復路は文化と芸術の街へと変わっていった。光復洞の入り口から美花堂(ミファダン)百貨店へ続く200~300mには釜山市内にある20軒の画廊の半分以上が密集しており、伝統陶磁器を販売する骨董品店も5~6ヶ所あった。「イルグァンカメラ」の登場以降増え始めたカメラ専門店も13ヶ所もあった。

競争は熾烈化し、大企業が参入してきたことで市場の環境は急変した。父親が築いた「釜山最高・最大のカメラ専門店」という家業を継いだキム代表はさまざまな危機を乗り越えていかねばならなかった。インターネットショッピングが盛んになり、デジタルカメラの時代になった。価格が公開され、市場は売り手市場から買い手市場に変わった。フィルムなどの消耗品の販売は急減した。泣きっ面にハチで、1998年釜山市役所が移転して行ったことで光復洞の商店も活気を失った。こうした中、13ヶ所あった光復路のカメラ専門店は2011年現在5ヵ所に減ってしまった。

変わり行く環境に積極的に立ち向かうため、キム代表は事業の多角化、攻撃経営、自己革新などを試みる。1990年には「㈱IMBテーク」という放送用機資材の流通会社を設立。1990年代後半からは釜山市内の主要百貨店にカメラ販売店を入店し、光復洞の売り場も拡張した。2000年には44年間守ってきた「イルグァンカメラ」という社名を「イルグァンデジタル」に変えた。



父親が創業し28年間運営してきたカメラ専門店を、彼が受け継いで今年で28年目だ。親子2代で築いた56年という年月。昔は親から子へと受け継がれていたカメラはもはや消耗品となり、特別な日に撮影するものだった写真が今では日常生活を記録する手段に変わった。かつてカメラを密輸していた国が今や輸出する国になり、デジタルカメラの普及率が世界1位で有名カメラメーカーがしのぎを削る国となった。国際市場から始まった小さなカメラ店は、写真・映像装備専門の流通企業へと変身した。

「イルグァンデジタル」の将来についてキム代表は「コンパクトカメラからデジタル一眼レフへと高級化され、カメラを趣味にする人も徐々に増えていくでしょうから、未来は楽観しています。技術の開発スピードはさらに速まっていくでしょうが、その急激な変化に合わせていけば充分にやっていける自信があります。店の建物を大きくするより、『イルグァン』という名前を大きくすることに努力します」と話す。

イルグァンデジタル
釜山市中区光復洞1街53
(051)245-8255
http://www.ilkwang.co.kr






 

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