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[釜山の老舗] 釜山の老舗 ⑤「栄光図書」<上> - 「釜山ㆍ慶南」 旅行ㆍ情報の窓口
 
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釜山の老舗 ⑤「栄光図書」<上>
17歳の青年が鶏7羽を売ったお金でつくりあげた「書店らしい書店」
[Write date]  2011-04-25 오전 10:05:57

1960年代中ごろ、西面(ソミョン)の旧・釜山商業高校(現在ロッテ百貨店釜山本店がある場所)や大韓劇場(現・CGV大韓)の周りには、40~50店もの本屋があった。慶尚南道・咸安(ハマン)郡で中学校を卒業したある青年が、ここに足を踏み入れた。お金も頼っていくところもなかった青年は、すぐにでも仕事と住むところが必要だった。ただ故郷と名前が同じだという理由で「咸安(ハマン)書林(ソリム)」の門を叩いた。住むところと食事を提供してもらうというのを条件に、書店での仕事を始めた青年は新しいチャンスを発見する。当時は西面と宝水洞(ポスドン)に本屋が集まっており、名門高校や大学の近くに本屋が広がりつつあった。新しい本より古本の方が多く出回っていた時代。いわゆる「流通業者」と呼ばれていた人々は、自転車で釜山全域を行き来し本を集めたり配給したりする役割を担っていた。

漢学者である父親から漢字を習い、中学校のときには図書部員として活動していた青年は自分の競争力を確信し、すぐさま流通業の仕事に乗り出すことにした。問題は資本金。実家からは青年が育てていた鶏7羽を売った1,800ウォンを含む5,000ウォンを送ってきた。1967年、青年が17歳になった年のことだ。このお金がその後、釜山最大の書店「栄光(ヨングァン)図書」の資本金となる。つまりその青年こそが「栄光図書」のキム・ユンファン代表(61)なのだ。


読書量が人並みはずれていた彼には、売れる本やお金になる本を選ぶ「選球眼」があった。彼は町外れの本屋を回り、古紙回収業などをしながら積極的に営業活動も行った。西面、宝水洞、東莱(トンネ)、影島(ヨンド)、大新洞(テシンドン)など釜山全域を回りながら、足がちぎれるほど自転車のペダルをこいだ。半年が過ぎ、保管場所が必要になるほど本を集めた。

やがてキム代表は流通とともに販売もすることにした。現在の「栄光図書」から70mほど離れた地下鉄2号線西面駅9番出口周辺には当時、西面中央市場がつくられていた。キム代表はここに1.5坪の店舗を借りた。そして1968年5月1日「栄光書店」という名前で事業者申告した。これが「栄光図書」の公式的な歴史の始まり。1.5坪だった書店が今や1,000坪の大型書店にまで成長したのだ。

1975年になるとキム代表は本格的な書店業への転換を図る。このとき彼には流通業をしていたときに集めた1,000冊以上の古本があった。それを転売すればけっこうなお金になっただろう。しかし彼は周囲が引きとめるのも聞かず意外な決断を下した。それらの古本を全て、統営(トンヨン)の欲知(ヨクチ)中学校に寄贈することにしたのだ。本が貴重だった時代にこれはかなり斬新な出来事だった。釜山日報は社会面の記事として報道し、MBCラジオは全国放送でこのことを伝えた。

このことをきっかけに「栄光図書」は本格的な跳躍を遂げる。統営出身の人たちが感謝の気持ちで本を買いに大勢訪れ、各種学校から図書購入の問い合わせが続いた。ツバメがひょうたんの種をくわえて来るように(*)、本の寄贈が思いがけない結果をもたらしたのだ。その1,000冊以外にも「栄光図書」は、これまで42万6,026冊の本を学校や機関に寄贈してきた。
(* 韓国の昔話『フンブとノルブ』の中のエピソード。巣から落ちて足を怪我したツバメの子を助けたフンブの家に、1年後ツバメがひょうたんの種をくわえて飛んできて落としていく。フンブがその種を育てると、生ったひょうたんの中からお米や金銀財宝が出てきたという話)






 

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