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[釜山の老舗] 釜山の老舗 ④「サムジン食品」、「ヨンジン食品」 - 「釜山ㆍ慶南」 旅行ㆍ情報の窓口
 
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釜山の老舗 ④「サムジン食品」、「ヨンジン食品」
日本人の定着と共に始まった「オムッの歴史」
[Write date]  2011-04-25 오전 10:01:21

釜山は1876年の開港とともに、日本人によって本格的に開発された。解放後朝鮮戦争の勃発と共に全国から押し寄せてきた避難民で人口が急増、その後経済発展とともに海洋・水産中心の都市として成長してきた。「釜山オムッ(揚げかまぼこ)」の歴史はこのような釜山の歴史と驚くほどに一致している。

「釜山オムッ」の歴史は、開港とともに大勢の日本人が定着したことから始まる。1910年に開場した富平洞(プピョンドン)市場は全国最初の公設市場だ。1924年朝鮮総督府から発行された「朝鮮の市場」という本に「富平市場は米・揚げかまぼこ・野菜・青果などが主な商品だ」という記録がある。おそらく「釜山オムッ」の歴史を確認できる最初の記録だろう。1936年にできた東光洞(トングァンドン)市場(現在の釜山デパートがある場所)には日本人が建てた揚げかまぼこ工場があった。

韓国人が建てた最初の揚げかまぼこ工場は、解放直後富平洞市場から始まった「東光(トングァン)食品」だ。1950年には日本で揚げかまぼこ製造技術を学んできたパク・ジェトッ氏が影島(ヨンド)の蓬莱(ボンネ)市場入り口に「サムジン食品」を設立した。その後朝鮮戦争が始まって避難民が釜山に押し寄せてき、揚げかまぼこ生産は好況を呈し始めた。その頃「東光食品」と「サムジン食品」の元工場長2人が合作し、ヨンジュドン市場に「ファンゴンオムッ」を設立。東光・サムジン・ファンゴンの構図が確立した。1960年代になり「ファンゴンオムッ」と「サムジン食品」などで技術を学んだ技術者が大勢独立し、揚げかまぼこ業界は戦国時代を迎えた。


「東光食品」はしばらく代が途絶えていたが、最近創業主の孫が中央市場でその後を引き継いでいる。「ファンゴンオムッ」は1990年の不渡りの後、新しい主人を迎えて慶南・金海市に本社と工場を移した。「釜山オムッ」の始まりとも言える影島の「サムジン食品」と、「釜山オムッ」の歴史を今に残す草梁(チョリャン)の「ヨンジン食品」は、「釜山オムッ」の伝統と自負心そのものだと言えるほどだ。

日本から揚げかまぼこ製造の技術を学んできたパク・ジェトッ氏は、朝鮮戦争が起こる直前の1950年に影島区・蓬莱市場の入り口に掘っ立て小屋を借り、揚げかまぼこの製造を始めた。蓬莱市場に場所を定めたのは、周辺に人が多かったこともありまた材料を手に入れやすかったためだ。当時揚げかまぼこの主原料は、沿近海で取れるプルチ(太刀魚の幼魚)とカンチ(イシモチの幼魚)だった。影島大橋(ヨンドタリ)を渡った現在のロッテ百貨店光復店の場所には、「クン(大きい)トガ」と呼ばれていた第一水産市場が、チャガルチ市場の入り口の南浦洞住民センターの場所には「チャグン(小さい)トガ」と呼ばれていた第2水産市場があった。昔も今も、材料の鮮度は揚げかまぼこの品質を決める決定的な要素。運送手段と言っても、自転車や手押し車しかなかったので遠くへは行けない。これが富平洞市場や影島で揚げかまぼこの製造が始まった背景だ。

パク氏の揚げかまぼこ工場は、朝鮮戦争で影島に避難民が押し寄せてくるや大盛況となった。おかげで無許可の掘っ立て小屋から始まった工場は、1954年に「サムジン食品」という立派な名前を持つようになった。現存する釜山で最も古い揚げかまぼこ工場の公式的な歴史が始まったのだ。今年で61年目を迎える「サムジン食品」は、今でも創業時の場所で工場と販売場を運営している。創業主の息子であるパク・チョンス代表(58)が家業を継いで25年になる。

「サムジン食品」は揚げかまぼこ製造にあたり、魚肉と小麦粉の75対25という比率に数十年間こだわってきた。「小麦粉の含有量が高いと、こんな弾力は出ません。時には生産原価より材料費がかさむ場合もありますが、原則を守り抜くほかありません。大企業との競争で消費者に選んでもらうには高品質を保つこと以外に方法はないのです。」パク代表は意外な秘密を1つ話してくれた。「冷凍のすり身もよく使いますが、生の魚肉も一緒に使います。漁獲量が多く鮮魚の値段が安いときは生の魚肉の比率を上げます。そういう揚げかまぼこは数十年作ってきた私たちでも非常においしく感じます。」



「サムジン食品」は技術者も大勢輩出した。その中に1961年入社した「ヨンジン食品」のパク・ギョンス代表がいた。当時19歳だった彼は非常に熱心に技術を身につけ、業界の動向を把握した。パク代表は今年で69歳だが、今も現役で活動している。揚げかまぼこ一筋に半世紀かけて生きてきた彼は、「釜山オムッ」の生きた証人。彼の人生がすなわち「釜山オムッ」の歴史だと言っても過言ではないほどだ。

パク代表によると、1940~50年代には石臼で魚を骨ごとひいて油で揚げるという方法だった。1970年代以前、食用油を使った揚げかまぼこは高級品として市内の料理店などに納品された。安い揚げかまぼこは鯨や鯵の油を使った。小麦粉が高いのでおからを混ぜたりもしたが食感がぱさぱさした。1970年代後半の経済開発と共に揚げかまぼこ業界も転換期を迎え始め、この頃日本から一部自動化機器が導入された。1986年アジアゲームと1988年オリンピックで外食産業が成長したことにより、揚げかまぼこ業界もやはり本格的な跳躍期を迎えた。1990年大から釜山地域の揚げかまぼこ業界の工場の移転・拡張が活発になったのには、こういう背景があった。

パク代表は1966年「サムジン食品」を出て、草梁市場で天幕を張って揚げかまぼこの商売を始めた。「ヨンジン食品」の始まりでもあり「草梁オムッ」の元祖というわけだ。1970年草梁市場から草梁聖堂に上がる現在の場所に店を構えた。「ヨンジン食品」もやはり1980年代後半に大もうけした。当時は夜中の3時から始めて夜11時まで工場を稼動するのも茶飯事だった。おかげで1993年チャンニム工場を新築した。工場を新築しても「ヨンジン食品」は草梁市場で即席揚げかまぼこを製造・販売した。機械化・自動化では出せない味を消費者に伝えたいというこだわりだった。草梁工場では数十年の経験を持つ技術者がいまだに手作業で揚げかまぼこを作っており、その味を忘れられない客が大勢訪れる。半世紀を揚げかまぼこ一筋に歩んできた商人がプライドをかけて作る揚げかまぼこの味は推して知るべし。パク代表は高齢にもかかわらず、今も午前は草梁工場、午後はチャンニム工場と精力的に活動している。

「サムジン食品」と「ヨンジン食品」にはいくつかの共通点がある。50年以上揚げかまぼこ製造一筋に黙々と歩んでき、どんな状況でも魚肉の比率70%以上という原則を守り抜いてきた。生産単価を下げられないため、大企業や大型マートへの納品を断固として断ってきた。ただひたすら揚げかまぼこの味と品質で消費者に選んでもらうのだというプライドのためだ。

「サムジン食品」(051)416-5468、「ヨンジン食品」(051)467-1049






 

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