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[釜山の老舗] 釜山の老舗 ⑧ 「白鴎堂」<上> - 「釜山ㆍ慶南」 旅行ㆍ情報の窓口
 
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釜山の老舗 ⑧ 「白鴎堂」<上>
1964年すでに140種・・・新しい挑戦で守ってきたパン屋
[Write date]  2011-05-06 오전 11:24:14

パン屋に並ぶ焼きたてほかほかのパンの香りは、人々を笑顔にさせる。何故か懐かしい情景が思い出されるからだろうか。釜山にも人々の思い出が詰まった歴史あるパン屋がある。中区・中央洞にある創業53年の「白鴎堂(ペックダン)」は、釜山に現存する最も古いパン屋だ。「白鴎堂」と同時期にあった店はいつの間にか消えてしまい、また釜山市役所が他所に移転していき中央洞も昔のような勢いがなくなった。さらに大企業のフランチャイズパン屋の登場で競争が激しくなった。にもかかわらず、「白鴎堂」は健在だ。


パンは他の食べ物より流行に敏感だ。客の好みもどんどん変わっていく。単に伝統だけを強調していては生き残っていけない。伝統を守るとともに、常に新しいことにチャレンジしていかねばならない業種だ。「白鴎堂」は
1964年当時、すでに140種の製品を作っていた。現在は240種に増えている。1年に4回新製品を開発し、客の反応を見ながら継続して作っていくかどうかを決めている。

売り場の一角には「菊花
(クックァ)パン」やクリームパン・甘い菓子パン・ロールケーキ・パウンドケーキなど、53年の歴史を今に伝えるパンが陳列されている。また他の一角にはクリームチーズドーナツやブラウニーなど最近流行のパンが並ぶ。伝統を守りながら新しい時代の要求にもマッチするよう努力しているということだ。その結果、数十年の常連客と若い世代の客の比率はいつもだいたい37ぐらいだ。またインターネットやガイドブックのおかげで、釜山を訪れた他の地域の人々はもちろん、日本人もよく訪れる。伝統あるパン屋そのものが観光資源となり得るという事実を「ペックダン」が証明しているのだ。


現在の「白鴎堂」がある場所の隣の建物の所有者だったキム・ジェボン氏
(1998年逝去)は、1959年に1階に「白鴎洋菓(ペックヤングァ)」、2階には「白鴎茶房(ペックタバン)」を開いた。「白鴎(ペック)」は白いカモメという意味。釜山といえばカモメという地域性を生かしたネーミングだ。キム氏は姪のパク・ムンジャ氏(78)に「白鴎洋菓」の売り場を任せ、鎮海と釜山で製パン技術を学んだジョ・ビョンソプ氏(19382008)を工場長として迎えた。この工場長の能力と誠実さに目を留めたキム氏は、姪との結婚を前提にパン屋を工場長に譲った。工場長と売り場の店員として出会ったジョ・ビョンソプ氏とパク・ムンジャ氏は1964年に「白鴎洋菓」を引継ぎ、1966年に結婚した。現在は2人の長男ジョ・ジェブン代表(54)が「白鴎堂」を経営している。(▼1989年東京製菓学校で招聘講師をしていた頃のジョ・ヒョンソプ氏)



1960年代各種官公署・金融機関・言論機関が集まっていた中央洞は、政治・経済の中心地だった。その真ん中に位置していた「白鴎堂」は「高級」の代名詞だった。「洋菓子」は富裕層だけのものであり、ロールケーキやカステラは賄賂に準ずる貴重な贈り物としてとらえられていた時代。1960年代中ごろに売り出された「白鴎アイスケーキ」(▼)は売り切れになるほどの人気だった。「西洋=高級」という認識だった1970年代はじめ、「白鴎洋菓」は「ニュー・パリ洋菓」に名前を変えたこともあったが、すぐまた「白鴎堂」に戻した。







 

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