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[釜山 歴史旅行] 日本と縁が深い梁山「法基里窯址」、復元へ - 「釜山ㆍ慶南」 旅行ㆍ情報の窓口
 
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日本と縁が深い梁山「法基里窯址」、復元へ
[Write date]  2017-08-22 오후 4:51:04

慶尚南道梁山(ヤンサン)市東(トン)面の「法基里(ポプキリ)窯址」が復元されることになった。1963年、史跡100号に指定されたが、私有地であったため放置されてきた。市は釜址の敷地を買い取り、2021~22年までに段階的に原型通りに復元する方針だと、8月16日明らかにした。

法基里窯址は壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592~98)の後、1607年に東莱(トンネ)府使が日本との貿易のために造成し、50~60年間、運営されたのち閉鎖されたと言われている。

ここで生産された鉢や茶碗、平鉢、皿などは全量、日本に輸出された。当時、日本では「伊羅保茶碗」「吳器茶碗」と呼ばれ、国宝「井戸茶碗」に次ぐ扱いを受けている。一部は、日本・京都市の「野村美術館」で展示されている。

野村美術館の谷晃館長は2007年、日本の茶碗のルーツを探るため梁山市と市議会を訪問し、法基里窯址の発掘を提案した。当時、谷館長は、発掘の参観と論文発行の許可を条件に、発掘費用を最大10億ウォンまで支援すると申し出たという。

市は法基里窯址の復元に向け、年末までに国費など4億3千万ウォンで敷地2,161㎡を買い取り、申翰均(シン・ハンギュン)陶工や谷館長などが参加する関連シンポジウムを開く予定だ。

イ・ギジュン梁山市議員は「法基里窯址で生産された茶碗は、芸術的価値だけでなく、壬辰倭乱後に断絶した韓日関係の再開のきっかけとなった外交的な意味も大きいため、復元事業を必ず成功させたい」と話す。

申翰均陶工も「法基里窯址の運営初期は朝鮮の陶磁器を輸出するだけだったが、後には日本側から注文された陶磁器も生産して輸出するようになった。復元されれば、日本人観光客も誘致できるだろう」と話す。

*写真は法基里窯址の場所を示すイ・ギジュン梁山市議員






 

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